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純粋培養で隔離されていると思われる病院にいると、世間で起きている殺伐としたニュースは、遠い世界の出来事のように思えます。
しかしこの先無事退院出来れば、そういった世界に戻ることになるわけで、そういった視点で見るとこのところ毎日のように起きているナイフ等により刺傷事件に薄ら寒いものを感じます。 以前はこういった事件を起こす人というのは「虐げられた」とか「お金に窮して」とか、まあ実際の理由は不明ですが、ある程度納得できる理由がついていたように思います。 ところが最近の事件を起こす人たちの写真を見ると、そこら辺を普通に歩いている人と全くかわりません。ごく普通の人たちが、ある時点で何かをきっかけに凶悪な犯人に変貌するという想像は恐ろしいものです。 これはいったい何が原因なのか?私なりに考えてみました。 ・ 毎日まじめに生活もしくは働いているのに、先行きの展望が全く開けない閉塞感 ・ テレビでは明るく爽やかに見えるタレントが、にこやかに愛想を振りまいているが、よく考えると視聴者とは何のつながりもありません ・ 政治の世界では、毎日のようにきれいごとが流され、真実のドロドロした世界は覆い隠されているように見える ・ 隣近所若しくは普段から付き合っている隣人とは、スマホの文字によるコミュニケーションが主となり、肉声をかわすこともなく、うわべだけの付き合いになっている 私の考えなので異論反論は多数あると思いますが、要するに自分一人ではどうしようもない閉塞感、じわじわぎりぎりと締め付けられるような息苦しさに締め付けられている人が多いように思われます。 問題はそう感じている人が、そういった締め付けを正しく認識せずに、ひたすら自分を責め続ける結果、どこかで暴発しているのではと思える例が多いことです。 悩みを悩みとしてきちんと認識し、何とかしようと友人やカウンセラー等に相談すればいいわけですが、コミュニk-ション不足から、悩みを言葉として認識できず、鬱屈した精神状態をかかえたまま生活している人が多いように思います。 さてどうしたもんか?今の病院では朝起きて病室を出て、職員さんと会うと、必ず「おはようございます」という挨拶があり、時間があれば「今日は寒いですね」「もうすぐ朝食です」「よく眠れましたか」といった会話があります。 この会話が交わされるだけで、個室にいる私は「あ~私は入院しているけれど、病院となんらかの形でつながっているな」という認識と安心感を得ることができます。 というわけで、結論は単純。デジタル的な交流ではなく、生身の肉声によるコミュニケーションがもっともっと必要なのではという気がします。
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