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連日舛添都知事の政治資金の使い道について様々な報道がなされ、いやはやでたらめもいいところだなと感じている人が多いと思います。
なんでクレヨンシンチャンを政治資金で買わなくてはいけないのか?この人は、普段財布は持ち歩かないのでしょうか?普通に考えて、「もしこんな漫画を買ったら、批判を浴びるのは当然だ」という良識が働かなかったのかと実に不思議です。 「せこい」という批判がありました。「吝嗇」(ケチ)という批判もあるようです。ネットで用語の意味を調べてみると、無暗に金品を惜しむことというのが第一番目。つまり自分の金は使わず、他人のお金だけを当てにするという事だと思えます。 気持ちや考えが卑しいという説明も書いてあります。なんだかよく分からない言い訳を聞いていると、本当にこの人は都知事さんとしての器だったのだろうかと悲しくなります。 まあ批判はいくらでもできそうですが、「人の振り見て我が振り直せ」という諺もあり、ネットだから気軽に批判できるとはいえ、では自分だったらどうなのかと考えるのも前向きな態度ではないかなと思えます。 そこで目の前に「何に使っても良いよ」と1000万ぐらいのお金が積み上げられたら、庶民はどうするのかなと考えてみました。 今思いつくのは、家購入の頭金、車購入費、借金の返済、単に貯金、投資、ギャンブル、旅行、新しいコンピューター、家のリフォーム、美術品、高級レストラン、放蕩、寄付等々とまあこのぐらいで私のアイデアは尽きてしまいます。 たぶん1000万ぐらいだと、家の購入以外にセコセコと使っているうちに、いつの間にか消えてしまうような気もします。そもそも自分で稼いだという実感がないお金は、あぶく銭という言い方もしますが、都知事さんのように使い方も荒くなるという事かなと思います。 さらに、ケチと節約の違い。調べてみると、「ケチ」と称される人は、周りの人のためにお金を消費しないということで、ある意味自分さえ良ければよいという事なのかもしれません。 ただし本当のケチになると、自分のためにもお金を使わないということになり、ともかくお金があることだけが楽しみという事のようです。 一方節約とか倹約という言葉はもう少しニュアンスが柔らかくて、何かをするために不必要なお金を削るという意味合いがありそうです。 老後にお金がいくら必要か、という話題が常に本屋さんの経済雑誌の主要テーマになっています。そしてそこには常に「豊かな生活をするために」という修飾語がついています。 何かをするために、何を削って、どのように生活を改善したらよいのかという事だと思いますが、根本にあるのは、「老後に自分は何をしたいのか」ということが分かっていないといけないなと思うようになっています。 |
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