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2月9日に鼠蹊部ヘルニアの手術をして、約一か月。この間最初の1週間で痛みはかなり薄らぎ、その後の1週間は残った痛みが徐々に軽くなっていくことが実感できました。
2週間を越えたあたりから、どうやらこれなら元の体調に戻りそうだという確信めいたものが芽生え、その後は手術をしたことを忘れている時間が増えています。 思い出すのは、風呂に入るときに、切った部分が若干盛り上がっているので、その盛り上がりを確認するのが癖になってしまいました。 どうやらこの部分は、組織が修復のためにかたまっているようで、押すと今も若干の痛みを感じますが、それも少しずつ引いています。 というわけで、明後日からかねて予定していたハワイ旅行に出かけます。非常勤講師までの期間を考慮すると、およそ40年ぐらい教職という仕事をしてきましたので、それのご褒美だと自分で勝手に思っています。 初めての勤務校は定時制で、たまたまその頃は、気持ちが荒れて様々な悪さを繰り返すような子供が大勢定時制に入学してきた時代で、まあある意味お坊ちゃま君で育てられた私は、当初教壇に立つことにかなり勇気を要しました。 それでも、基本的に「頭からお前は悪い奴だ」と決めつけるようなことはせずに、なんとかコミュニケーションをとろうと努力したこともあり、また年齢的にも近い生徒がいたせいか、教室が騒がしくなってくると、そういった生徒が逆に「先生に迷惑だからやめろ」と声を掛けてくれることもあり、「へえ~、結構いい奴なんだ」と認識を新たにしたりしました。 どこまで騒いだら迷惑がかかるか、というぎりぎりの境界線を、生徒側がきちんと守っていたように思います。 まあそれでも一時は「俺はやっぱり教職には向かないんじゃないか」と思い詰めたこともあります。しかしたまたま同じ年代の若い先生がいたこともあり、どうしたらもっと良い仕事ができるかと、仕事帰りに飲みに行って、ほぼ徹夜でいろいろ話をしたことが思い出されます。 今の若い先生同士は、車通勤が増えたこともあり、仕事帰りに飲みに行くという暇も機会もないようです。そういったことがつもりつもって教員同士も教員と生徒間もコミュニケーション不足に陥っているような気がします。 ともあれ、約40年間の教員時代の後半は、日本のバブル崩壊に伴って公務員への風当たりが強くなり、適正勤務という事ばかりが教育委員会から言われるようになったなと感じます。 そのせいかどうか議論はあると思いますが、俗にいう金八先生のような、情に篤く、ひたすら生徒のために身を張って働くという気概を持ったユニークな先生が減ったように感じます。 要するに先生が企業と同じようにサラリーマン化し、与えられた仕事を黙々とこなし、言葉は悪いのですが、生徒たちを製品として扱い、はみ出さないように管理統制して卒業させるということが最大の功績ととらえられるような環境になっているということです。 それが必ずしも悪いわけではないのだと思いますが、年寄りの戯言という観点からすれば、つい昔はもう少し心の交流があったと言いたくなってしまいます。
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