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寒いせいか、ここのところ有名な方が他界するニュースが立て続けに出ているような気がします。私自身はもうすぐ62歳になるのですが、この年になると亡くなられた方が何歳だったのか、そしてその原因は何だったのかということが気になります。
私の人生は長くても約80年と私は想定していますが、これを80kmの長距離マラソンと考えると、すでに4分の3は過ぎています。この間人並みに山あり谷ありの道を走ってきましたが、私よりももっともっと高い山や谷を経験している人もいるのだと思います。 それはそれとして、そんな中、残りの20km弱をどのように走り抜けるかということが問題です。 しかし面白いのはこのレースはタイムレースではなく、途中コースを外れて寄り道をしても良いし、何かひとつのことに一心不乱に打ち込んで駆け抜けても良い、という選択肢があること。 また走っている当の本人を周りが支えたり、声援したり、時には孤独になったり、それが嫌で新たに応援してくれる人を探したり、さらに一緒に走るパートナーが見つかり、二人三脚になったりします。 そうかと思えば、子供が出来、家族で走るなんていう状況が生まれたり、ちょっと休んで家族の誰かや、見知らぬ他人が走るのに手を差し伸べたり、まあ人それぞれ好き勝手に走っているわけです。 しかもこのレースで最も面白いというかスリルがあるというのがゴールの存在。ゴールは必ず来ることは分かっています。ところがそのゴールが何km先かがさっぱり分からない。 走りながら、一生懸命「たぶんあの辺だろうから、ここからはこのペース配分で行こう」と思っていたら、実はゴールはまだまだ先で、さらに走らねばならなかったとか、逆にふと余所見をして前を向いたら目の前にゴールが来ていたなんてこともありそうです。 しかし一緒に周りを走っている多くの走者は、だいたい80km前後でゴールを迎えているようなので、当然自分もそうなんだろうとペース配分を考えるしかありません。 というわけで、私の場合あと20km弱でゴールを迎えるだろうと想定して走っているわけですが、走っている本人の私の体調はもちろんですが、今後突然目の前に霧が出たり、落とし穴があったり、下り坂になって急にスピードが出たり、まあ様々な条件をクリアしながらゴールに近づいて行くんだろうなと思っています。 そういったレース風景を想定しながら、さてどのように走ろうか?と考えるわけですが、まあそこそこのスピードで走っていける体力があるうちは、あちこち寄り道して行きたい。(生きたい) その寄り道というのは、あるときは旅行であり、あるときはこういったブログ書きであり、そしてまたあるときは料理道の追求とか、まあいろいろ考えら得ます。 いずれにしても目の前にまっすぐな走りやすい道路があって、そこを淡々と進んで行くというような人生とは無縁のような気がします。 興味関心がいろいろあるので、あちこちキョロキョロしながら進み、気になるとそちらにフラフラと吸い寄せられ、しばらくするとまたもとのコースに戻ってくる、なんていう人生なのかなと思えます。 何の役にも立たない、とりとめのないことを書いていますが、要するに潜在的に「本当の意味でゴールが見えてきたとき、まずまずがんばって走りきったな」という満足感に浸れれば良いんだろうなと思うようになってきました。 |
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