父子家庭で早期退職をしたおじさんのお気楽生活日記

 2009年に妻に先立たれ、突如父子家庭となり、その後仕事と家事の両立が難しくなり早期退職をしました。現在、貯金を取り崩す毎日ですが、気持ちだけは楽しくお気楽に生活していこうという願いを込めたブログです。

第2047回 充実感、達成感の基準を下げる

 12月に入りました。今年は8月まではハワイやバンコクに行って羽を伸ばしていましたが、ご存じのように8月下旬に突如くも膜下出血を患い、8月下旬から9月上旬にかけてほとんど記憶がありません。

 その後9月後半は大学病院でリハビリを受けていましたが、これも「リハビリを受けた」という記憶はあるものの、その細かい内容や担当してくれた理学療法士さんたちの記憶があまり鮮明ではありません。

 唯一若くて美しくて明るい子たちだったと自分にとってうれしかった記憶だけが残っているのですが、やはりこのころはまだ高次機能障害があり、記憶の定着も悪かったんだろうなと思っています。

 10月に入り、大学病院でできる治療は終えたということで、とりあえず自宅に少し近いリハビリ病院に転院。この病院の記憶は鮮明になっていますので、いわゆる高次機能障害と呼ばれるものはだいぶ薄らいだかなと思っています。

 その結果、いわゆる運動機能障害はほとんどなく、記憶も確かなものとなり、呂律もごくたまに言葉が出てこないだけとなっています。

 しかし唯一相変わらず不快だなと思っているのが、ゆっくり歩いて急に方向を変えたりするとフラっとするめまいを感じること。これも転院直後よりずいぶんよくなったなと感じますが、かなりしつこく残っています。

 前回リハビリ病院退院後に一度大学病院に行ったのですが、その時医師にこの件を尋ねると、医師は正直に私の病気の病状は分類上かなり重かったんだと教えてくれました。

 言外にそんな症状でよくぞそこまで回復したという気持ちも含まれているように感じました。

 そこまではめでたしめでたしなんですが、問題はこの先です。ふらつきを感じたまま海外旅行に行けるのか?と考えるとやはり不安で、おのずと行動半径は狭くならざるを得ないなと思います。

 その意味では、今後これまでと同じような充実した生活は送ることができないのではということに気が付きました。ではどうすればいいのか?

 そもそも豊かな生活とか充実した生活というのは、自分自身の達成感に関係するなと思うようになっています。これまではその達成感が人とは少した違う場所に行き、ちょっと変わったものを食べ、美しい景色を見るということで得られました。

 今後それができないとなれば基準を変えるしかありません。つまり与えられた何の変哲もない日常生活の中で達成感や満足感を得る工夫をしないといけないということです。

 というわけ朝6時に起きたら「早起きできた」と喜び、8時まで寝坊したら「睡眠時間を十分確保できた」と満足し、朝食を食べたら今日もおいしい朝ごはんを食べることができたと満足する。

 まあ言ってみれば実に些細なことに喜びを見出すことだと思いますが、これが普通なのかなという気もします。さらにそこに他人とのコミュニケーションが生じて、なんらかの意思疎通があればより満足できそうだなと感じます。

 喜びの基準を上げることは大変ですが、下げるのは結構たやすいかもしれません。その分喜びが小さいとこれまでは考えていましたが、そんな贅沢は言っていられません。

 手術直後に比べると、そういった喜びを得られる環境や条件が整ってきたと前向きに考えたいと思います。


 

第2021回 デジタルのコミュニケーションより肉声のコミュニケーションが大事

 純粋培養で隔離されていると思われる病院にいると、世間で起きている殺伐としたニュースは、遠い世界の出来事のように思えます。

 しかしこの先無事退院出来れば、そういった世界に戻ることになるわけで、そういった視点で見るとこのところ毎日のように起きているナイフ等により刺傷事件に薄ら寒いものを感じます。

 以前はこういった事件を起こす人というのは「虐げられた」とか「お金に窮して」とか、まあ実際の理由は不明ですが、ある程度納得できる理由がついていたように思います。

 ところが最近の事件を起こす人たちの写真を見ると、そこら辺を普通に歩いている人と全くかわりません。ごく普通の人たちが、ある時点で何かをきっかけに凶悪な犯人に変貌するという想像は恐ろしいものです。

 これはいったい何が原因なのか?私なりに考えてみました。

・ 毎日まじめに生活もしくは働いているのに、先行きの展望が全く開けない閉塞感

・ テレビでは明るく爽やかに見えるタレントが、にこやかに愛想を振りまいているが、よく考えると視聴者とは何のつながりもありません

・ 政治の世界では、毎日のようにきれいごとが流され、真実のドロドロした世界は覆い隠されているように見える

・ 隣近所若しくは普段から付き合っている隣人とは、スマホの文字によるコミュニケーションが主となり、肉声をかわすこともなく、うわべだけの付き合いになっている

 私の考えなので異論反論は多数あると思いますが、要するに自分一人ではどうしようもない閉塞感、じわじわぎりぎりと締め付けられるような息苦しさに締め付けられている人が多いように思われます。

 問題はそう感じている人が、そういった締め付けを正しく認識せずに、ひたすら自分を責め続ける結果、どこかで暴発しているのではと思える例が多いことです。

 悩みを悩みとしてきちんと認識し、何とかしようと友人やカウンセラー等に相談すればいいわけですが、コミュニk-ション不足から、悩みを言葉として認識できず、鬱屈した精神状態をかかえたまま生活している人が多いように思います。

 さてどうしたもんか?今の病院では朝起きて病室を出て、職員さんと会うと、必ず「おはようございます」という挨拶があり、時間があれば「今日は寒いですね」「もうすぐ朝食です」「よく眠れましたか」といった会話があります。

 この会話が交わされるだけで、個室にいる私は「あ~私は入院しているけれど、病院となんらかの形でつながっているな」という認識と安心感を得ることができます。

 というわけで、結論は単純。デジタル的な交流ではなく、生身の肉声によるコミュニケーションがもっともっと必要なのではという気がします。


 

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Author:hoku
 こんにちは

 定年まであと3年という年齢で、表題に書いたような理由で早期退職をしたhokuです。

 日々の生活の中でいろいろ思いついたことを書きつづろうと思っています。

 よろしくお願いいたします。